キリスト意識

今日は、思いきって書いてみます。
これがどんな文章になるか書き始めているいまは、まったくわからないけれどもハートセンターに沿ってチャネルしてみようと思います。
まずはじめに、ここ数日間とてもすばらしい時をすごしました。とても近しい魂の存在であることは感じていても実際にはまだ会ったことのなかったヒーラーの友人が泊りがけで会いに来てくれました。初めて会ったのにお互いのことが何でもわかっている不思議な感覚に包まれながら、尽きることなく話し合いヒーリングを交換し、また私たちの共通のやはりヒーラーである友人も参加して本当に素敵な時間でした。

そして私たちが流れるようにとりとめもなくしていた会話の中で最も心に残っているのは、キリスト意識についてです。
今までにもこの意識を共有する人たちに会ったことは少なくありませんが、今回はお互いに通じるものが特にパワフルであったように思います。
私たちは、いっさいの宗教から直接関係のない立場でヒーリングをします。ヒーリングを受けに来る方の中には、いろいろな人種や宗教の方がいますが同じ人間であることには、かわりないということです。 しかし私の意識の基本のところに強い意識のエネルギーが存在します。それがキリスト意識なのです。ですが私は、キリスト教徒では、ありません。

 この意識の存在は、子供のころからいろいろな形で私の心に語りかけてきました。それは、常に私の心の中に存在して波風の多かった私の人生を、したえてくれました。
と同時に宗教としてオーガナイズされたキリスト教の教えになんとなく疑問をだきつづけてもきました。
いろいろな過去生での記憶なども呼び覚まし、私なりの心の旅であったのですがひとつのクライマックスが一昨年自分自身がヒーリングを受けた時に見たイメージでした。
そのイメージは、十字架を背負うキリストを胸が張り裂ける思いで見ている自分でした。そのイメージをみながらヒーリングを受けている私は、20分ほど床を這いながら泣き続けました。今これを書いていても涙を止めることができません。
この強烈なイメージが何であるのか、記憶であるのか、または私の心に存在する何物かがこういうイメージという形をとって表現されているのか、それはわかりません。

ですが約1年かけて自分なりに理解したことは、こういうことでした。それは自分の心の奥に隠れている罪の意識。それは、キリスト教が教える、人間は、原罪とともに生まれる、といったものでは、ありません。むしろその反対で、人間が解き放つことのできない罪の意識の幻想、そしてそこから生まれる自己否定の感情についてです。そしてあらゆるネガティブな感情の裏に実は、自己否定の感情が隠れている、という事実です。そして今わたしたちは、長い間抱き続けてきた自己否定の幻想を解き放つ時である、ということです。
そしてその奥に無限の可能性と喜びがある、ということです。

心の友と語り合いながら、またいろいろな思いを新たにした数日間でした。
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by hagiel | 2006-04-22 22:25 | ヒーリング、ACIM
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